一昨年の10月俺は酒を飲み過ぎて胃と腸の間が裂けて吐血した。吐血と言うとかなり大事かと思われるだろうが、実際は吐いた物がまさか血だとは思わなかった。食後だったし、ただの赤みのあるゲロだと思った。
 しかし、その後2回吐いた。色は血の色ではなく、まるでグループジュースみたいだった。でもグループジュースなんて飲んでないし、これはおかしいと思ってこれは血だと思った。仕事中(ヘルパーで利用者のうちだった)だったので、代わりのヘルパーを呼んでから救急車を呼んだ。

 病院は近場の東京女子医大東医療センター(荒川区)に運ばれた。救急車の中に入ってから記憶はなくなっていた。気付いたらベッドに寝かされていた。看護師からここはICU(救急医療室)だと教えてくれた。救急車で運ばれてから一週間くらい麻酔で寝かされていて、その間に手術をしたそうだ。メガネは外されてたからボヤけていたが、メガネをかけてもボヤけているので、看護師に聞いてみたら、寝かされていている間に俺は薄目を開けていたらしく、途中で気付いてテープで目を押さえたが、角膜がやられたと言われた。病名は角膜潰瘍と言われた。右目の黒目が白くなっている。俺はそのうち治って見えるようになるだろうと思ったが、退院してもボヤけているし、通院してもなかなか治らないので少し不安になった。しばらくして左目は見えるようになったが、右目は全く見えなくなっていた。退院後眼科に通院したが、一ヶ月以上通ってもなかなか治らない。診察も2ヶ月に一回になった。右目の黒目の白い箇所が小さくならないと手術は出来ないと言われた。別に気にしてはいないが、見えないせいか右目はロンパっている。          

 一年くらい通院した頃に担当医に治るのは難しいと言われた。白い箇所が一向に小さくならないのだ。俺はまだ左目が見えるし、片目も慣れたし、諦めた訳じゃないが別に治らなくても平気だった。       
 しかし、前回の診察の時網膜の検査をした。今まで診察しかしてないし、白い箇所は小さくなってないのに初めての検査だった。検査の結果網膜に異常はなかった。担当医から角膜移植と白内症と角膜にレンズを入れる手術をすると言われた。かなり難しい手術になるとも言われた。
 俺は元々見えないんだし、手術が失敗しても同じなんだから、手術をして少しでも見えるようになればラッキーだと思った。見える可能性があるのだ。嬉しかった。右目が見えなくなってから、小さい字が見づらいし、疲れるからマンガも本もほとんど読まなくなっていた。

で、今回の診察で教授から手術の同意書を書いて手術の日程が決まった。来月の20日(月)から25日(土)までで、手術は21日(火)にする。眼科の入院にしては長いが、それだけ難しいとゆうか手術後がネックになりそうだ。クリスマスイブには間に合わないが、ギリギリセーフでクリスマスに間に合う。彼女と一緒にクリスマスを過ごすのだ~!

おしまい

 明日区役所の福祉の担当(30代♀)が年2回(担当によって変わる)の家庭訪問に来るので久しぶりに部屋を片付けた。前回は4月だった。その時も久しぶりに片付けたと思う。ま、俺は他の所では綺麗にしているが、自分の部屋は掃除はするが、片付けはなかなか出来ない。とゆうか片付けてもその途端からちらかり始めるから、片付けは諦めている。ま、持って生まれた怠け者なんだろう。一人暮らしするまでは母親が俺の部屋を掃除して片付けてくれてたから、自分で部屋を片付ける習性が身につかなかったんだと思う。

俺はマンガも本も雑誌もとゆうか物を捨てられない。買い物依存でもある。
6畳一間のフローリングの俺の部屋は物で埋め尽くされている。今年の2月に行き付けのビデオレンタル屋が閉店する時にセールをやっていて一本300円のビデオを150本衝動買いしてしまい、俺の部屋は寝る場所以外スペースが無くなってしまった。そんな時タイトルと著者は忘れたが、片付けをすると人生が変わるとゆう内容の本を衝動買いして読んだら、片付けを実行したくなってきてマンガ、本、雑誌、フィギュア、食玩、ビデオをほとんど捨てた。売るのも面倒だから一気に捨てた。こんな事をしたのは生まれて初めてなので、快感だった。脳ミソから何か出ていたと思う。でなきゃそんな事は出来ない。部屋から物が無くなり、スッキリしたら気分も変わり、衝動買いもしなくなり、考え方がシンプルになって来た。本にも書いてあったが、部屋にある二度と使われないであろう物は今までの人生の古い執着であり、片付けはその古い人生に片を付ける行為であると書いてあった。本当に生まれ変わった気分になった。

片付けをしていたら、小銭が入っているコンビニの袋を発見した。以前大きな招き猫の貯金箱に1円玉と5円玉を貯めていた事があって、一杯になった小銭を銀行で換金したら5000円くらいあって、金欠の俺は助かった覚えがあった。今回も月末で金欠だから期待した。コンビニの袋を布団の上にバラまいたら、1円、5円はもちろんの事オマケに10円、50円、100円、500円玉もあり、狂喜乱舞した。早速数えてみたら、2万円以上あった。一体いつこんなに小銭を貯め込んでいたんだろう?一時期500円玉貯金をやった事があるが、見事に失敗した。

こんな事があると本に書いてあった事が本当に思えてきた。ま、いい事ばかりじゃなかったが、徐々に俺の人生うまくいって来ている実感がある。彼女も出来た事だし、今は幸せに生きている。興味のある方は是非片付けをして欲しい。たぶんきっと何か変わる?はずだ。

おしまい
俺と彼女が付き合い始めて(とゆうか彼女のうちに泊まりに行く)3ヶ月になる。

知り合ったのはアルコールの施設で9ヶ月前だ。初めて彼女のうちに遊びに行って泊めてくれた時は、ひょっとしたら彼女は尻軽女かと思った。だがしかし、俺は去年ピンサロに行って性病(尖圭コンジローム)をうつされていて治療中でセックスは出来なかった。俺から見て彼女は俺とのセックスを望んでたんじゃないかと思ったので、俺が性病だとメールした。

 彼女からのメールで彼女は俺が思っている女ではなかった。

彼女がまた遊びに来てとゆうので、毎週土曜日の午後に遊びに行って泊まっていくようになった。彼女は2年前に左足を線路に飛び降りて電車に挽かれて切断している。その時の記憶は無いそうだ。因みに自殺未遂は何度かやってるそうだ。

彼女は俺が食器を洗ったり、ゴミを捨てに行ったり、チューハイの缶を潰したり(彼女はアル中だが節酒している)するのが凄く助かるみたいで喜んでくれた。俺からすれば何でもない事が彼女にはかなり大変みたいだ。移動はロフスト・ランド・クラッチとゆう取っ手付きの杖を両手で使っている。

彼女はアルコールの施設の通所が過酷で7月に入院して(その時俺と彼女は再会した)退院したのをきっかけに施設を辞めた。
それ以来彼女は人との関わりが一気に減った。彼氏がいたみたいだが振ったそうだ。だから彼女のうちに来るのは俺とたまに来るボーイフレンドだけになった。
彼女は昔からかなりモテたらしい。俺は彼女にとってただの便利男かよ!とも思ったが、定期的に来るのは俺だけで、次第に彼女は俺になついてきた。
ハグしたりチューしたり、イチャイチャしたりまるで中学生の恋愛ごっこみたいになって来た。彼女といろいろ話して、彼女はアル中にしては考えがしっかりしてるし、俺よりいろんな事に経験豊富で、少女みたいな純粋さもあり、成熟した女性の面もあって、だんだん彼女が好きになって来た。

そんな時性病科で口からは感染しないし、コンドームを付ければセックスも出来ると聞き、俺は喜び勇んで彼女とセックスに及んだんだが、いかんせん俺は欝になって入院して退院後もあそこは立たず、ED(インポテンツ)になっていた。彼女となら大丈夫だと思ったが失敗に終わった。それが彼女が自分の足のせいだと思い込み、酷く傷付けてしまった。
俺はそうじゃないと彼女を説得したが、「体は正直よね。私の足見て萎えたんでしょ」と詰られた。俺はそんなつもりじゃなかったし、彼女が好きでやろうとしたので俺も傷付いたし、情けない男だと思った。

彼女の話を聞いているとかなりモテたみたいだし、それなりに恋愛もしてきたんだろう。プライドも滅茶苦茶高そうだ。俺みたいな男は甲斐性ないし、男らしくないし、彼女からしたら恋愛の対称にはならないのかも知れない。
いつだったか彼女が酔っ払た時に俺に「たかがT(俺)ごとき!」とか「えー、私がTの事好きになっちゃうのー?」言われた事がある。まぁ彼女から見れば俺はそんな男なんだろう。

しかし俺には特殊な才能がある。どんなに嫌な人も嫌いになれないし、好きな人には男であろうが女であろうが徹底的に尽くす。彼女も俺と同じで彼氏にはうるさがられる程尽くすみたいだ。

俺の誠意が伝わったのか彼女は「Tの事好きになっていいの?私好きになると大変だよ」と言われた。どう大変になるのか分からないが、俺なら大丈夫だろう。彼女を大切にするし、逃げたりしないと約束した。 因みに名前は施設にいた時のニックネーム(小学生並み)で、それがなかなか恋愛までいかなかったのかも知れない。本当何だか仲がいい友達感覚が続いている。

俺は最近彼女のお陰かあそこも元気になって来たし性欲も出て来た。彼女も俺の服を脱がせようとしたりしてきた。キスしてる時は興奮している。彼女も性欲が出て来たみたいだ。

後はセックスすれば正式?に恋人同士になるが、いかんせん俺の性病はまだ治っていない。コンドームを付ければ出来ると言われても、彼女からすれば安心出来ないんだろう。性病の方は順調に治ってきている。後もう少しだ!

おしまい

「朝立ちした!」

2010年11月21日 日常
いつからかは分からないが、朝立ちしなくなった。あそこの方も立ちがいまいちになりフニャチンになってしまった。性欲もほとんどなくなった。

今年の夏に欝になり、さらに俺のあそこは元気がないどころか、ほぼED(インポ)になってしまった。そんな時に彼女が出来た。EDもそうだが、去年元気になった時に大塚のピンサロで性病(尖圭コンジローム)をうつされた。だから彼女が出来てもチューしか出来ないのであった。性病も少しづつよくなり、コンドームを付ければセックス出来ると言われた時、やっと彼女とセックスが出来ると狂喜乱舞した。口からの感染もしないとも言われた。

彼女とセックスに至った時、彼女を喜ばせようと必死に愛撫してた時は良かったんだが、いざ挿入の段階になったら、俺のあそこは半立ちでフニャチンになって挿入出来なかった。彼女は左足がないので、彼女は自分のせいで勃起しないと思い込んで傷付けてしまった。それ以来セックスはしていない。

でも彼女との関係は徐々に深まって来た。今は週に四日彼女のうちに泊まっている。そのうちキスしたら勃起するようになり、朝立ちもするようになった。彼女がいたから元気になったんだと思う。

でもまだセックスはしていない。イチャイチャしたり、一緒に風呂に入ったりしているが、何かまだそうゆうモードにならない。だけど最近彼女が俺の服を脱がそうとしたりしてきたし、俺も彼女を抱きたくなって来た。もうそろそろ彼女と結ばれるだろう。

おしまい
一昨年酒の飲み過ぎで胃と腸の間が裂けて吐血(マロリーワイス症候群)した時に麻酔をかけられて1週間寝かされていた間に俺は薄目を開けたらしく目が覚めたら両目がぼやけて見えなくなっていた。しばらくして左目は見えるようになったが、右目は見えなくなってしまった。それ以来小説は読めない事はないが、目が疲れるので読まなくなった。マンガさえ読むのが億劫になり読む数が減った。

しかし今年の7月に欝で入院して引き籠もるようになって暇潰しにまた読書を始めた。始めのうちは読みづらかったが、慣れてきたらそうでもなくなった。

彼女が出来て今はテレビドラマにはまっているが、以前は読書好きだったらしく新聞に載っていた書評松浦理英子の「犬身」(朝日文庫)に興味を示し、「これ読んでみたい」と言っていたので俺も読んでみたくなり「犬身」の上下巻を買った。彼女は子供の時何度か犬を飼っていて犬好きなのだ。

ストーリーを教えるのは何なので、最低限の話をする。簡単なストーリーは犬好きの主人公が犬になって好意を持っている飼い主に飼ってもらうとゆうストーリーなんだが、俺の予想していた大人のファンタジーとは正反対で奇妙な話ではあるが、あまりこうゆう小説は読まないんだが、新鮮で面白かったので一気に読めた。

興味を持った方は是非読んでもらいたい。松浦理英子の世界が堪能出来ると思う。

おしまい
俺は眼鏡フェチだ。
眼鏡を掛けてる娘を見ると凝視してしまう。可愛い娘ならもちろん、不細工な娘でも眼鏡を掛けてれば俺の中では30%は評価が上がる。
女の子に限らず熟女(因みに俺は熟女フェチでもある)でも歳に関係なく反応してしまう。いつから俺が眼鏡フェチになったかは分からないが、とにかく眼鏡を掛けてる女性に反応してしまう。

いつだったか電車の中で友達から俺が眼鏡を掛けてる娘を別に意識してなかったんだが、「お前見過ぎ」と指摘された事がある。普段はある程度眼鏡っ娘を見る時はあまりジロジロ見ないようにしてるんだが、その時は意識してなかったんだが、凝視してたみたいだ。それには俺も驚いた。

ごくありふれた理由は母親が眼鏡を掛けているってのがあるが、ただそれだけで眼鏡フェチになるだろうか?と考えてみたんだが、納得いく理由は見つからなかった。ま、俺はマザコンでもあるが、それでも納得いかない。        

いろいろ考えぬいた末、何となく納得いく理由が分かった。多分俺が子供の頃、母親と外に出かけた時に俺と母親が離れた時に早くは母親を探す手段として眼鏡を掛けた母親くらいの歳の女性を必死(母親ベッタリだったから、母親がそばにいないとパニくったと思う)で探したんだと思われる。しょっちゅうあったわけではないが、何度かの経験で母親探しは眼鏡の熟女(母親の歳くらいの)ととゆう事になったんだと思う。それが今だに刷り込まれていて眼鏡の女性を見る条件反射で見てしまう事になったんだろう。それで納得してても今だにこの癖は治っていない。

おしまい

彼女はまだ足があった頃と2年弱前からの義足のギャップにかなり苦しんだようだが、今はありのままの自分を受け入れて彼女なりに一生懸命生きている。俺には到底出来ない事だ。
 彼女にとって俺は唯一正直な話が出来る相手だと言ってくれたし、彼女なりに過去の身辺整理(そこまで自分を追い詰める事はないと思うんだが、彼女なりにけじめをつけたいそうだ)をしている。ある土曜日がデートだったのだが、それを断って俺と会ってくれた。お互いいなければならない関係になって来た。まだまだ彼女は俺に対して信じていいのか不安そうではあるが。俺はもう彼女を愛する覚悟を決めた。欝でどうにもならなかった俺に力と希望を貰ったから。感謝してるし大事にしたい。

俺の性病もどのくらい治ってるのかまだはっきり聞いた事がないから、聞いてみたら口からの感染はしないし、コンドームを付ければセックスも出来る言われた。俺は欝になってからインポに近くなってきたが、彼女なら大丈夫だと思った。

ある土曜日にその事を話して抱いてもいいかと聞いたら、俺に任せると言われたから俺は早速近くのコンビニにコンドームを買いに行った。キスをして愛撫をしてる時はよかったし、勃起したが、いざ入れる時に萎えてしまって出来なかった。

 彼女はそれが義足が原因だと思ったらしく傷付けてしまった。彼女に「体は正直だからね。嘘つき」と言われてしまった。俺はそんな事はないと説得したが、聞き入れてくれなかった。俺は延々と彼女義足の事は関係なく彼女を愛しると説得して信用してくれたかは分からないが落ち着かせた。

それ以来セックスはしてないが、土曜日の他に月曜日と木曜日に彼女のうちに泊まるようになった。やっとよりを戻したがまだ俺を好きになるまではいってなさそうだ。会うと恋愛ごっこじみた事をしたり話し合ったりしているが、まだ彼女の本心は分からない。

彼女は子供のような純真さと大人の成熟した女性の面を合わせ持っていて、大人の彼女の時は俺はもて遊ばれてる感じがする。まだ足がある頃の自信とプライドがあって、まだ俺みたいな男が彼女を好きになるにはもったいないと思ってるみたいだが、俺が彼女を真剣に好きになればなる程彼女も俺を好きになってきたみたいだ。この先どうなるかは分からないが、会うたびにいい関係になってきている。ま、何とかうまくいくだろう。

おしまい

次の日彼女に俺が性病でゴメン。期待外れだった?とメールしたら彼女は何それ?どうゆう事?と言われてしまった。単なる俺の思い違いだった。 

 その日以来毎週土曜日に彼女のうちに行って泊まるようになった。いろいろ話してるうちに義足(左足)がいかに大変かが分かってきた。ちょっと歩くと疲れるし、買い物ならなおさらだ。始めの頃は俺は単なる彼女の便利屋なのかと思っていたが、何でもない事をしてあげると彼女は大喜びするし、俺が来ただけではしゃいででくれる。彼女は人恋しいとゆうかは寂しがり屋なのだ。毎日一人でいるのが寂しいのだ。俺は同情や憐れみではなく、少しでも彼女の力になれればいいと思えるようになってきた。俺も彼女も徐々に慣れてきてハグしたり、抱きしめ合ったりチュー(性病だから舌は入れない)するようになって俺になついてきた。彼女がいとおしくなって来た。           

3月に千葉から上京して彼氏と同棲してたみたいだが、別れたそうだ。彼女が左足を失ったのは2年弱前でそれまではちやほやされてモテたそうだ。水商売もやってたみたいだし、彼女の周りにはいつも男がいたと思われる。

ある日彼女が俺に焼きもち焼く人?と聞かれた事がある。
俺は別に彼女の助けになれれば満足だったし、ましてや性病の俺が彼女とセックスしようなどとはこれっぽっちも思っていないから「そうでもないんじゃない?」と答えた。
すると彼女は「実はボーイフレンドがいるの」と言った。俺は別に何とも思わなかった。義足だろうと彼女は一人の女なんだなと思っただけだ。

その4につづく

どうにもならなかった俺にとって彼女は救世主だった。
寝る時以外は彼女にべったりだった。欝も次第になくなって来た。彼女は患者達から慕われていて輝いて見えた。

しかし彼女は一週間くらいしたら退院してしまった。退院したらまた施設に戻る予定だったが、とても戻れる状態じゃないからバックレると言った。俺も施設の厳しさを知ってるからその方がいいと言った。メルアドを交換してまた会おうねと言ってハグして別れた。とても暑い日だった。
その日以来俺はまた欝に戻ってしまい、部屋に引きこもるようになった。

外泊中彼女は調子が悪くなくなって地元の病院に入院してしまった。
メールで頼まれていたテレビブロスと眉毛の手入れ用の毛抜きを買って彼女を見舞いに行った。
久しぶりの再会で彼女も俺も喜びあってハグした。退院する日に一人では無理だから迎えに来て欲しいと言われた。
その日は外出にして彼女の退院に付き添った。タクシーで彼女のうちの近くの喫茶店で退院祝いをしてまた会おうね、うちにも遊びに来てねと言って別れた。

その後俺は欝のまま一ヶ月で退院した。退院した日に俺は自助会に行った。彼女のうちの近くなので、遊びに行っていいかメールしたら、来ていいよと言ってくれたので行く事にした。うちは近いけど場所が分からないので、知ってるコンビニで待ち合わせた。彼女のうちはすぐそばにあった。

彼女の部屋はフローリングで広かった。シングルベッドと小さなテーブルと椅子が2つにテレビデオ(懐かしい)があるだけでシンプルで綺麗に整理整頓されていた。俺の部屋とは大違いだ。

俺は久しぶりに女性の部屋に入ったのと、二人っきりの状況に緊張してしまった。とりあえず彼女はチューハイ(アル中だけど節酒してる)、俺はコーラで退院祝いをした。
俺は緊張してテレビの方ばかり見ていた。彼女が途切れ途切れ話しかけてくるのに精一杯だった。

翌日はクリニックのデイケアがあって朝早く出なきゃならないから12時頃ベッドに二人で手を繋いで寝た。俺は彼女が泊めてくれたし、抱いてもよかったのかな?

だけど俺性病だしとか考えたり、緊張したりして寝られなかった。
朝彼女が起きて俺も起きてコーヒーを飲みながらテレビを見て9時に出る前に「俺ってつまらない男でしょ?」と言ったら彼女は「また会おうね」と言ってくれた。

俺はこれから彼女との関係はどうなるんだろう?とゆう漠然とした不安を抱きながら駅に向かった。

その3につづく

いつからかはっきりしないが性病になった。病名は尖圭コンジローム。悪性ではないが、なかなか治りにくい病気らしい。

きっかけは一昨年の夏にアルコールの施設に入所して毎日365日午前午後夜の3ミーティングをひたすら繰り返すとゆう超過密スケジュールをこなしているうちに肉体的にも精神的にも疲れ果てた。その時は性欲なんかなかったし、それどころではなかった。

施設に入って半年くらいは死んでたが、徐々に慣れてきて、俺が苦手な人間関係もまともに取れるようになり、だんだん元気になってきた。
施設に入って1年くらいたった頃だ。それで俺はついつい大塚の安い風俗に行った。
しばらくは何もなかったが、いつの間にか性器の付け根にイボイボができた。あまりの凄さに俺はチンポが根元から取れるんじゃないかと思った。もう男としての俺は終わったと思った。大塚の風俗嬢を呪った。普通風俗で性病うつされるか?

すぐ病院(性病科ではない)に行った。週に一回液体窒素をやったが、なかなか治らず、新大久保にある病院を紹介してもらった。その病院では軟膏を処方されてしばらくたってから液体窒素に変えた。

俺は5月にテンションが上がって精神科に入院して(その頃はまだインポではなかった)、退院後しばらく落ち着いたが、今度は一気に欝になって1年半止まってた酒を飲んでしまい、さらに欝が酷くなって7月にまた入院した。もう性欲どころではない。インポになってしまった。チンポも元気がなくなると小さくなってしまった。まるで小学生並みのチンポだ。包茎ではないが。
そんで早速泌尿器科に行った。俺は10年前から抗欝剤、安定剤、眠剤を飲んでるからそれが影響してる可能性があるかも知れないと言われた。薬はバイアグラだが、保険がきかないから4錠で2万円で、それ以降は1錠1300円だそうだ。生活保護の俺には厳しい金額だ。何とかならないものか?彼女も出来た(性病が治らなきゃ駄目だけど)。元気になれ俺のチンポ!

おしまい

久しぶりに彼女が出来た。
 出会いはアルコールの施設だった。彼女は3月から通所し始めた。左足が義足だが、俺の好み(メガネっ娘)でいい感じの娘だった。歳は37歳で俺より7歳下だ。

 初めて会った時から他の女性達とは何か違うものを感じた。施設で喋ったり、夜の自助会(ミーティング)で同じ会場の時は一緒に帰った。俺はだんだん彼女が好きになっていった。

 楽しい施設の生活だったが、俺は酒は飲んでないが、ある理由があって4月2日に終了(事実上クビ)した。それからはたまに自助会で会った時に一緒に帰る日々だったが、俺はいつからかは分からないが、テンションが上がって止まらなくなって5月に軽い躁で1ヶ月入院した。退院してしばらくは落ち着いていたが、今度は急に欝になり、7月にまた入院した。

 その時に彼女と再会した。彼女は義足だから施設と夜の自助会(毎日)で精神的にも肉体的にも疲れて入院した。欝でどうにもならなかった俺にとって彼女は救世主だった。

つづく

猛暑が終わり、秋らしい天気になってきたのはいいが、電車の車内や店内のエアコンがきつ過ぎる。
まぁ俺はもともとエアコンに弱いってのもあるが、今年は特に寒さを感じる。せめてドライにしてもらいたい。もう寒くて震えがする。
しかし周りら薄着や半袖だ。俺には信じられない。俺なんてヒートテックの上にロンTその上からパーカーを着ている。それでもエアコンは寒いし、外に出ても夜は寒い。俺の体がおかしいんだろうか?しかし異常な寒がりになってしまったな。今年の冬はどうなってしまうんだろう?

おしまい

「退院した」

2010年8月28日 日常
前回は躁で1ヶ月入院して退院してしばらく落ち着いたが、今度は欝で7月から入院して先週の月曜日に退院した。

先週の月曜日に退院したんだが、体力落ちたり、暑いせいかだるいし調子悪い。
欝も落ち着いたんだか落ち着いてないんだかよく分からない。
薬も効いてるんだかよく分からない。ま、調子悪い事に変わりはない。

退院してからデイケアに行くつもりだったが、まだ一回しか行ってない。夜のミーティングにも行ってない。
ま、退院疲れだろうし、しばらく休めば大丈夫だろうけど毎日ダルい。

しかし躁になったり鬱になったり難儀な病気になったもんだ。ま、生きてるだけでいっか。そのうち何とかなるだろう。

おしまい
先週退院したのはいいものの今週からデイケアに行き始めて、いきなり躁から鬱気味になってきた。

入院中仲良くなったバンドのドラマー(鬱)は「躁の後の鬱ほど最悪なものはない」と言っていた。要はあんなハッピーだったのに今の俺は何なんだ?!って事らしい。
俺はアルコール性の鬱しかなった事がないからよく分からないが、鬱の人は大変らしい。って今鬱の俺が言うのも何だが、鬱の人ってああだこうだ言って行動しないで考え過ぎだと思う。とゆうか暇があり過ぎなんだと思う。

俺もご多分に漏れずなかなか行動しない。今までの人生ほぼ無駄に近い。得た物は日本で最速にアル中が進行したって事だ。本当に無駄遣いして本やマンガを買いまくったり、CD買いまくったりしてる割には情報としては右耳から左耳をすり抜けてるだけで何も得ていない。好きな音楽さえもういらないんじゃないかって思うくらいだ。とゆうか俺は初めっから何も必要なかったのかも知れない。

何だかヘンテコな人生になっちまったなぁ。ま、まだ俺の人生はこれからだと思ってりゃいいか。

おしまい
やっと退院日が決まった。
来週の11日の金曜日だ。丁度一ヶ月。やっぱ入院なんてするもんじゃないな。
今回は軽い躁で入院した訳だが、入院して落ち着きを取り戻したのはいいものの、タバコや携帯が使える時間帯が午前10時から12時、午後1時半から4時半までと一番吸いたい食後の一服が吸えない(因みに喫煙所に屋根はない)。だから何か吸う気力が失せたとゆうか、喫煙欲求がなくなってきた。もしかしたら禁煙出来るかも知れない。

俺が入院してる棟は精神科で一番軽い棟(欝、統合失調症、認知症)だからまだいいが、他の棟は何かゾンビみたいのが一杯いて共同の喫煙所は凄い事になっている。半ズボンでベンチに正座してたまに自分で自分の顔を殴るオッサン(オマケにガリガリ君を二本食う)まさに映画のゾンビとソックリなのばっかりだ。死ぬまで退院出来ないんだろうな。20年も入院しているオバサンもいる。だから最近は近くの公園に避難している。

後、俺の病棟で欝の人が何人が電気ショック療法をやった人がいるが、あまり効果はないみたいだ。ま、人の事はいいとして俺は何とかなったから良しとしよう。退院したらクリニックのデイケアだ。

おしまい

「俺の病状」

2010年5月20日 日常
そもそも俺が酒が止まってどうなったかを説明しよう。
まず、テンションが上がって、誰とでも仲良く話しが出来るようになる。アル中用語でいうピンクの雲に乗ってる、またはドライドランク(素面の酔っ払い)てやつだ。それは俺が酒を止めて1年くらいしてからなった。

次に来たとゆうが、前からあるんだが、買い物依存になった。今回は服だった。気に入ったブランド(ってもそう高くないが、エキゾチック系)にハマった。

で、次がイライラしたりソワソワしたり、落ち着かなくなった。何をやっても集中出来ない。これは参った。アル中人生11年目だが、こんなのは初めてだ。

そのイライラを解消するために過食に走った。これは今回で2回目だが、本当今回は前回同様ヤバかった。とにかくいつも腹一杯にしないとち着かない。これは買い物で金がなくなったから自炊を始めてなった。とにかくいつでも米がある訳(知人が送ってくれる)だからもう食うに困らない。

しかし、とうとう過食もエスカレートしていき、60キロだった体重が、ゴールデンウィーク開けには68.5キロになっていた。1日1キロ増えている。それからの過食は体重が増えるのが嫌だから食べ吐きをやり始めた。

後、知らない間に金卸してたり、失禁をしたりして今回の入院になった訳だ。

そんで入院してしばらくは売店どお菓子やら何やら買ってたが(食べ吐きはしてない)、売店が4時半に閉まるのを忘れて、過食欲求が止まらなくなり、どうにもならなくなった結果やったのが、うちから持って来ていた大人のふりかけを5袋くらい食べて水飲んで何とか収まった。腹が減ったら水飲んだらいいと思ったが、それはかなりヤバイらしい。水分は1日2リットルまでだそうだ。

で、今は過食は止まったが、甘い物にハマっている。こないだスプーン印の砂糖を1キロ買ってしまった。イライラ、ソワソワしたらコーヒー、紅茶、ココアにスプーン大盛り一杯半入れて飲んでいる。こんなことしてたら糖尿病になっちまうぞ。この先俺はどうなっちまうんだー?

おしまい

先週の火曜日(11日)に軽い躁と診断されて板橋のN病院に入院してしまった。7年にも同じ病院に入院してるが、その時はアルコール病棟だった。今回は精神科病棟で、躁鬱、欝、統合失調症、乖離性人格障害など、いろんな病気の患者がいる。
俺は3ヶ月前あたりから、テンションが上がって来て2ヶ月前あたりをピークに知人が亡くなったり、アルコールの施設に好きな娘が出来て、うまくいきそうだったのに、その矢先に施設首になったり、AA(自助会)のスポンサー(相談役)にもスポンサーシップ切られたし、何だかんだあって躁鬱状態になって入院になった訳だ。今回はこれでおしまい。
先週の4月2日の金曜日に俺が通っていたアルコールのリハビリ施設を首になった。1年8ヶ月目でもうすぐ終了出来そうな、そんな矢先だった。
まあしょっちゅう遅刻するし、酒止まっても問題行動(ま、いろいろしでかす)が多くて今回めでたく?首になる運びとなった。当の俺は施設に完全に依存してたから、もういきなりな事だったからショックでまだ立ち直れないでいる。

仕事の方も今月から施設が受注した清掃をやる事になり、俺が責任者でやる気満々だったのに、いきなり二日目で出鼻を挫かれた。もう不貞腐れている。

もう訳が分からなくなって、飲みたくなったかけど、飲んだらヤバイから焼け食いしたり、一人カラオケに行ったり、ひたすらオセロをやって辛うじて精神のバランスを取っている。
しかし、そんな事してたら金が無くなった。もう精神的にも経済的にもヤバイんである。精神的には凹むとゆうより、焼け糞気味だから、テンションが上がっている。
今日クリニック行って薬貰って来た。多分喪だろう。抗うつ剤飲んでないのに抗うつ剤が効いてる感じだ。

しかし参ったな。一番悲しいのは今俺は恋をしていて、相手も俺に好意を寄せていて、かなりうまくいってたのに毎日会えなくなった事だ。ま、施設は恋愛禁止だし、お互い惹かれ合ってるのバレバレだし、そんな所も首になった要因だと思う。
ま、恋は破れた訳じゃないし、お互いこれからだから何とか成就させてみせるぞ!アル中の奴等って何年も酒止まってんのに恋愛も出来ないから嫌になるんだよな。

てな訳でこれからは俺がアル中の希望の星となるのだー!

おしまい

「いきつけのレンタルビデオ屋が潰れた」v
昨日11年間いきつけのレンタルビデオ屋が潰れた。
平成元年創業だから、22年になる。去年の4月に駅前にTSUTAYAが出来てから客足が一気に減ったらしい。しかしなぁ。残念だ。

11年前は俺がアルコール依存症と診断された年でもあり、ヘルパーとして脳性麻痺の身体障害者のWを介助し始めた年でもある。Wとは週に一回介助の日の金曜日に一緒に見るビデオ二本とアダルト一本借りていた。一本350円だが、三本だと900円になる。

俺は個人的にもよく行っててよく借りた。一時期は一日一本くらい見てたと思う。ほとんど覚えてないが。ま、当時はビデオを借りるとゆうより、店長(53歳)とお喋りするのが目的だったような気がする。
今年になってもうすぐ閉店しなきゃならない。と聞かされた時は悲しくなった。何かだんだん古き善き時代(昭和時代?)が滅びていってるような気がする。
確かにTSUTAYAの方が品揃えあるし、余計な人間関係取らなくていいのかも知れない。そんな時代なのかも知れない。でもそれは非常に危険な事だと思う。確かに今の時代は人間関係取らなくても、ネット上でコミュニケーション出来る。だけど生身の人間を相手にしていないから、誹謗中傷ばかりだ。だから生身の人間を相手にしても平気で人を傷付たりする。言葉が暴力的だ。非常に怖い。だから変な事件が増えてるような気がする。

そんな事はいいとして店長はまだ次の仕事が見つかってない。ま、店長の事だから何やっても大丈夫だろうが、今は厳しいからなぁ。何とか早く復帰してもらいたいもんだ。

店が潰れるとゆう事で店内に飾ってあるポスターを一枚貰った。悩んだ末「ブルース・ブラザース」にした。今考えてみると俺とWの関係はブルース・ブラザース兄弟みたいだった気がする。ま、死んじゃったけど、俺を見守ってくれてる気がする。

おしまい

最近なかなか寝れなくなってきた。
ま、2ヶ月前にクスリ(安定剤、抗欝剤、眠剤)を完全に切ったか、その影響かも知れない。
クスリを切ったのは、スポンサー(相談役、助言者)と断酒のプログラムをやるには頭がクリアの方がベストとゆー事で、10年間飲んでたクスリを切った。
酒が止まってある程度たつと肉体的にも精神的にも回復してくるから、初めのうちは不安だったが、切ってみたらそうでもなかった。ってクスリ飲んでて効いてのかさえ自覚してない。眠剤は効くけど。

で、しばらくは眠剤なくても大丈夫だったんだが、最近寝れなくなってきた。確かに施設行ってるとほとんど運動しないし。
後、最近うちから施設まで歩いて行ってない。それでも1日一万歩以上歩いてるからいいと思っていたが、それが原因かも知れん。

まぁ寝れないだけならいーんだが、何時に寝ちゃうか分からないから、目覚ましかけても起きない時がある。昨日は起きたら10時過ぎて遅刻した。今日も自助会のホームグループ(代々木)の会場取りに9時までに区民会館に行かなきゅならないのに、起きたら9時過ぎていた。ま、電話して何とかなったけど。

あー、何とかなんないかなぁ。また眠剤処方してもらうか。それとも運動するか。また体重増えてきたから、運動しよう。そうしよう。

おしまい

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