「今日はTさんの三回忌だ」
2006年3月20日コメント (2)
今日は俺が介助していたTさんの三回忌だ。もう2年たったか。早いもんだ。
Tさんは俺と同じアル中で、俺が通院してるJクリニックを紹介してくれた人と一緒に行ったが、俺はよかったがTさんは車イスとゆう事で、断られてしまい、TクリニックでDC(10時から6時半)に行くようになった。
俺はまだその時は普通に仕事してたんで、Tさんの介助の火曜日と土曜日にTクリニックに行っていた。ここはアルコールだけでなく、ギャンブル、薬物の患者もいて、若いヤツから年寄りが30人位いた。女性は女性で他の階にいて、患者は総勢100人位いた。
Tさんはアル中だが、身体障害者で車イスだから、院内では浮いていた。
しかし、Tさんはそれでもちゃんと行って、酒は1年まったく飲まないでいたが、1年酒やめて少しだけ飲むようになり(俺は少し飲んでいたから、飲みたくなったんだろう)Tさんがケースワーカーに「節酒出来てるけど、アル中なのか?」と聞いたら、「節酒出来るんならアル中じゃない」と言われて、それからじょじょに飲むようになり、また、アル中に戻ってしまった。
それで、医院長ともめて、クリニックをやめてしまった。
それからTさんはアル中に戻ってしまった。俺も仕事中から飲むようになり、だんだん悪化していった。
そんで俺は4年前に酒の飲み過ぎで、左足大腿骨骨頭壊死になり、仕事が出来なくなり、生活保護を受けるようになった。3年前の2月に順天堂医院に入院して、人工骨頭にする手術をして3月に退院し、地元の王子病院にリハビリ転院して5月に退院した。
退院してしばらくは酒は飲まなかったが、8月にオフクロが脳硬塞で入院し、障害者(多発性硬化症)の弟(37歳)の面倒をみなくならなくなり、実家(草加)に行かなきゃならなくなった。俺は弟と仲が悪く、面倒見てたらだんだん憂鬱になり、また酒を飲み始めた。精神的にまいってきて、酒の量も増えて、オフクロの見舞いに行く途中で、てんかんの発作を起こし、近くの病院に入院した。1週間位で退院したが、精神的にも肉体的にも限界がきて、9月に成増厚生病院(精神科)に3ヶ月入院し、一昨年の1月に退院した。
退院してしから、しばらくして2月から仕事に復帰して、またTさんの介助をする事になった。Tさんはその頃、酒びたりで、朝から晩まで飲みっぱなしだった。俺が仕事に入る日は休肝日にして、じょじょに酒の量を減らすようにしようとTさんと約束した。
それから、少しづつ酒の量を減らしていったが、そんな矢先に3月に急性多臓器不全で死んでしまった。俺は信じられなかった。いくら飲んでいたとはいえ、俺ほどは飲んでなかったし、肝臓の数値も悪かったが、死ぬほどではなかった。おそらく肝臓以外もやられ
てたんだろう。
それから俺は今だに社会復帰出来ず、生活保護を受けている。Tさんが死んでなければとっくに社会復帰出来たのにと悔やまれる。
今日はTさんの三回忌とゆう事で、Tさんの介助者が集まり、Tさんが住んでいたアパートに行った。今は誰も住んでないようだ。近くの商店街も行ってみたが、相変わらずだった。Tさんが死んでから1回しか行ってなかったから懐かしかった。唯一変わったのはTさんが酒を注文していた酒屋がコンビニになっていた。
それから近くの居酒屋に行き、Tさんが生きてた頃の話で盛り上がった。みんなTさんが酒でボロボロだった時より、楽しかった時の方が、思い出として残っていたのが救われる。俺もそうだ。
大麻友達のWもアル中まではいってないが、結構酒を飲む。こないだ検査した結果を見たが、かなり悪い。医者に入院を勧められたみたいだ。
入院するかどうか分からないが、飲んでた時の俺よりまだマシだから、大丈夫だろう。Tさんほどヤバくないし。
俺は今は飲んでないが、今度飲み始めたら命に関わるから、くれぐれも気を付けないと死んでしまう。Tさんの三回忌と携帯に入ってるTさんの遺影を見ながら、俺は酒では死なないと誓ったのであった。
終
Tさんは俺と同じアル中で、俺が通院してるJクリニックを紹介してくれた人と一緒に行ったが、俺はよかったがTさんは車イスとゆう事で、断られてしまい、TクリニックでDC(10時から6時半)に行くようになった。
俺はまだその時は普通に仕事してたんで、Tさんの介助の火曜日と土曜日にTクリニックに行っていた。ここはアルコールだけでなく、ギャンブル、薬物の患者もいて、若いヤツから年寄りが30人位いた。女性は女性で他の階にいて、患者は総勢100人位いた。
Tさんはアル中だが、身体障害者で車イスだから、院内では浮いていた。
しかし、Tさんはそれでもちゃんと行って、酒は1年まったく飲まないでいたが、1年酒やめて少しだけ飲むようになり(俺は少し飲んでいたから、飲みたくなったんだろう)Tさんがケースワーカーに「節酒出来てるけど、アル中なのか?」と聞いたら、「節酒出来るんならアル中じゃない」と言われて、それからじょじょに飲むようになり、また、アル中に戻ってしまった。
それで、医院長ともめて、クリニックをやめてしまった。
それからTさんはアル中に戻ってしまった。俺も仕事中から飲むようになり、だんだん悪化していった。
そんで俺は4年前に酒の飲み過ぎで、左足大腿骨骨頭壊死になり、仕事が出来なくなり、生活保護を受けるようになった。3年前の2月に順天堂医院に入院して、人工骨頭にする手術をして3月に退院し、地元の王子病院にリハビリ転院して5月に退院した。
退院してしばらくは酒は飲まなかったが、8月にオフクロが脳硬塞で入院し、障害者(多発性硬化症)の弟(37歳)の面倒をみなくならなくなり、実家(草加)に行かなきゃならなくなった。俺は弟と仲が悪く、面倒見てたらだんだん憂鬱になり、また酒を飲み始めた。精神的にまいってきて、酒の量も増えて、オフクロの見舞いに行く途中で、てんかんの発作を起こし、近くの病院に入院した。1週間位で退院したが、精神的にも肉体的にも限界がきて、9月に成増厚生病院(精神科)に3ヶ月入院し、一昨年の1月に退院した。
退院してしから、しばらくして2月から仕事に復帰して、またTさんの介助をする事になった。Tさんはその頃、酒びたりで、朝から晩まで飲みっぱなしだった。俺が仕事に入る日は休肝日にして、じょじょに酒の量を減らすようにしようとTさんと約束した。
それから、少しづつ酒の量を減らしていったが、そんな矢先に3月に急性多臓器不全で死んでしまった。俺は信じられなかった。いくら飲んでいたとはいえ、俺ほどは飲んでなかったし、肝臓の数値も悪かったが、死ぬほどではなかった。おそらく肝臓以外もやられ
てたんだろう。
それから俺は今だに社会復帰出来ず、生活保護を受けている。Tさんが死んでなければとっくに社会復帰出来たのにと悔やまれる。
今日はTさんの三回忌とゆう事で、Tさんの介助者が集まり、Tさんが住んでいたアパートに行った。今は誰も住んでないようだ。近くの商店街も行ってみたが、相変わらずだった。Tさんが死んでから1回しか行ってなかったから懐かしかった。唯一変わったのはTさんが酒を注文していた酒屋がコンビニになっていた。
それから近くの居酒屋に行き、Tさんが生きてた頃の話で盛り上がった。みんなTさんが酒でボロボロだった時より、楽しかった時の方が、思い出として残っていたのが救われる。俺もそうだ。
大麻友達のWもアル中まではいってないが、結構酒を飲む。こないだ検査した結果を見たが、かなり悪い。医者に入院を勧められたみたいだ。
入院するかどうか分からないが、飲んでた時の俺よりまだマシだから、大丈夫だろう。Tさんほどヤバくないし。
俺は今は飲んでないが、今度飲み始めたら命に関わるから、くれぐれも気を付けないと死んでしまう。Tさんの三回忌と携帯に入ってるTさんの遺影を見ながら、俺は酒では死なないと誓ったのであった。
終
コメント
桜日の丸さんもお酒だけは手を出さないで。
うちの父の弟が60歳でアル中で亡くなりました、去年。
私とは一度も面識がなかったけど・・・結構うちの親類は自殺とかいます・・・
私も死なない自殺しないようになんとか生き延びてみます。
桜日の丸さんも生きてください。